明治中期、初代丹羽倉吉が10歳のころ当時は不治の病気である結核を患い死闘の中、尾張の御嶽行者・石田長太郎師に導かれ木曽御嶽山に7年間籠り、五穀断ちの木食荒行に励む。病魔退散し、神力・霊力が備わり、苦行の御嶽山修行を満行。直ちに神示ありて京都伏見稲荷山にて5年間のお籠り修行。
後に神勅を賜り三重県四日市市幸町に神殿を造営し開教。大勢の人心救済に努め信徒の布教教化に励む。不思議な伝説多し。第二次世界大戦にて四日市大空襲で市内は焼野原と化したが御神体は、有難くも一切被害なし。
昭和22年に宗教法人取得、昭和23年2代目丹羽安一により四日市市川原町に移築造営遷座、地鎮祭、竣工祭等の建築神事をはじめ、所願成就の所願祈祷に連日昼夜参拝多し。
昭和61年、旧社殿の老朽化、車社会の発達による駐車場の確保の必要性から3代目村鳥邦夫により四日市市上海老町に遷宮。平成16年から4代目 村鳥正浩 が後継者となり現在に至る。日常の神事はもとより家相、姓名判断や、また他の人に理解してもらえない悲嘆(グリーフ)や魂(スピリチュアル)の痛みなどを持った方のケアを行うため一般社団法人臨床宗教師会において資格を取得し傾聴を行い寄り添い癒し(ケア)への道を共に進むことのサホートや人生相談など人心の救済にあたる。
主祭神 | |
---|---|
御嶽大神 | 国常立尊 [くにのとこたちのみこと](天地開闢大元霊) |
大己貴命 [おおなむちのみこと](財運福徳の神) | |
少彦名命 [すくなひこなのみこと](医療・医薬の薬師神) | |
配祀神 | 天神地祇 [あまつかみくにつかみ](五穀豊穣・商売繁盛の神) |
稲荷大神 (五穀豊穣・商売繁盛の神) | |
合祀神 | 八百萬神 |
別宮 | 安太郎稲荷大明神 |